6月25日,中国国家主席习近平在赴日本出席G20大阪峰会之前,给“熊猫杯”全日本青年征文大赛中获奖日本青年中岛大地回信,并寄望两国青年为开创两国关系美好明天作出积极贡献。习近平主席的复信在中日青年中引起了热烈的反响。

中岛大地是“熊猫杯”大赛的热心参与者,多次同获奖日本青年来华访问。他的两篇文章曾荣获2014、2015年度熊猫杯大赛佳作奖。今天,我们把他的两篇文章推送给大家,来看看他与中国的故事吧。

·中岛大地·

我现在从属于学生团体“自由鸟”,参与日中学生的交流活动。该团体每月一次,通过举行汉语教室和中国料理体验,以及巡游川越、横滨等城市,开展日中学生交流活动。2014年暑假,我们在上海举行了名为“中国之旅”的日中学生交流集训,为期11天。有来自日本关东、关西地区,中国北京、上海的共40名学生参加交流。

下面,我想讲述一下自己参加交流活动的动因。

我原本很喜欢王维的诗,但迄今为止,对中国并没有特别关心,也没有尝试去了解。然而,大学一年级的暑假,我去天津短期留学一个月期间,开始对中国产生了兴趣。我还买了莫言、余华等中国当代作家的文学作品,周杰伦、五月天等人的流行音乐CD,以及张艺谋、贾樟柯导演的电影光盘。此后,一个偶然的机会,我受朋友之邀,开始参与日中交流。

在交流过程中,我切实学到了很多东西。

首先,我强烈地感受到了中国人的诚恳友善。在交流期间,我偶然结识了一位早稻田大学的中国留学生。还在他位于杂司谷的家中品尝了他亲手做的中国菜。当时,我和他围绕中国的流行音乐、美国电影的风趣幽默,以及他今后的人生规划、中国的未来等畅所欲言。他知无不言,言无不尽地向我介绍了很多中国情况。我感受到了他的亲切诚恳,同时,也意识到自己对中国的了解还很肤浅。此后,我偶尔在打工期间结识了在日工作的中国人,便开始向他们学习汉语。2013年12月31日,那位早大留学生借口打发寂寞时光请我吃火锅,我们还去卡拉OK唱中文歌一起跨年。我又一次真切感受到了他的热诚。

自此,我尽可能地融入在日中国人的圈子中,想要努力体会与他们交流的感觉。

中岛大地(中)和其他获奖者参观南京城墙

在交流中,我强烈感受到,不能用“中国”一词简单地概括中国。毋庸置疑,中国非常广阔。而且,每个地区都有各自的方言,各自的文化。北京、上海、福建、广东,在很多方面都截然不同。比如,语言就不统一。虽然我对台湾很感兴趣,在课堂上学习过福建方言(译注:闽南话),但闽南话和普通话在发音上有很大不同。我也和广东朋友学过一点儿广东话,发现广东话和普通话也有很大不同。

同时,我深深地意识到,也不能简单用“中国人”一词将中国人一概而论。这是理所当然的。然而,如今,这一理所当然的事却不在情理之中了。我经常能够在日本媒体上看到“中国人怎样怎样”,将中国人一语概之的文章。这样的文章真的毫无意义。就像日本有坏人也有好人一样,中国人也形形色色。

最重要的是,如何看待个体。不要被“几个人怎样怎样”的舆论束缚,如果能够积极面对眼前的每个人,就自然能够做到相互理解。

以往我参与过的交流活动都非常愉快。但在活动组织过程中,我也深刻感受到了日中交流的不易。一个尤其严峻的问题是,日本学生对日中交流漠不关心。中国方面也有很多人对此燃不起兴趣。我还经常能够听到“看起来很无聊”“很难理解”等意见。

日本媒体经常报道中国的负面消息。特别愿意放大政治和环保领域存在的问题。在经济话题中,也是就事论事地报道中国。所以,我感觉对中国的负面印象和漠不关心正在日本蔓延。

中岛大地(左一)在成都杜甫草堂

然而,因为日中是邻国,我们绝不能彼此无视对方。

即便国家层面的交流陷于僵局,作为个体也要为构建更加美好的日中关系而努力,这点非常重要。我认为,我们可以从双方容易产生亲近感的文化类话题切入展开交流。比如,一起做饭,一起就餐会增进友情。或者,去唱卡拉OK,一起演唱中国或日本歌曲也能增进友情。愉快轻松的交流才是构建一切关系的基础。

只不过,为了能够真正做到着眼细微之处,共同深入思考各种问题,还必须了解对方的语言。在交流方面,我经常听说语言的差异是最大的障碍。学习日语的中国留学生虽然有很多,但能够一定程度上了解中国的日本人却很少,这就形成了彼此了解极不均衡的局面。所以,解决语言问题绝非易事。

在语言学习方面,最重要的是要有了解对方的欲望。而能激发这种欲望的,就是和偶然出现的有缘人的相遇。相遇不是简简单单能够创造出来的。然而,正因如此,创造相遇的机会才尤为重要,且必要。为了今后能够进一步拓展日中交流,我要努力为身边人创造彼此相遇的契机。

 

私が日中交流に関わる理由

中島 大地

私は、いま「freebird」という学生団体に所属して、日中学生の交流活動に関わっています。その学生団体では、月に一回、中国語教室や中国料理体験イベント、川越 横浜などの町を巡るイベントなどを開催して日中学生の交流を行っています。また2014年夏休みには、上海で11日間の日中学生交流合宿「ChinaTrip」を開催しました。その際には日本の関東、関西、中国の北京、上海から総勢40名の学生が集まり、交流しました。

今回は、私がその活動に関わる理由を記します。

もともと私は、王維の漢詩が好きでした。しかし、中国に対してそこまで関心を持っていませんでした。理解もしていませんでした。しかし、大学1年生の夏休み、天津に1カ月間留学した時、中国に対して興味を持ち始めました。そして、莫言、余華などの現代文学や、周傑倫、五月天などの流行音楽や、張芸謀、賈樟柯などの映画を手に取るようになりました。その後、偶然、友人に誘われて、日中交流に関わり始めました。

交流の中では、本当にたくさんのことを学びました。

まず強く感じたのは、中国から来た人たちの優しさです。交流の中で、偶然早稲田大学に通う中国人留学生と知り合いました。そして、雑司ヶ谷にある彼の家で手作りの中国料理をいただきました。その時、彼と、流行している中国音楽のことから、アメリカ映画の面白さ、これからの彼の人生計画、中国の将来まで語り合いました。彼は、私のために言葉を尽くして様々なことを説明してくれました。その時、私は優しさを感じて、同時に、私自身の中国に対する理解の浅さを理解しました。その後、たまたまバイトで中国人の社会人と知り合い、中国語を教わり始めました。そして、2013年12月31日、暇を持て余していたという彼に火鍋を御馳走になり、カラオケで中国語の歌を歌いながら年を越しました。その時も、優しさを強く感じました。

その後、私は出来る限り、中国から来た人たちの輪の中に溶け込み、その感覚を理解しようと努力しました。

交流の中では、「中国」という言葉で、安易に中国をひとくくりにしてはいけない、と強く感じました。中国は、言うまでもなく、非常に広大です。そして、各々の地域には各々の言語があり、各々の文化があります。北京と上海と福建と広東は、様々な点において全く異なります。たとえば、言葉も一つではありません。私は、台湾に興味を持って、授業で福建語を学んでいますが、福建語は標準語とは発音の点で大きく異なります。広東人の友達から、少し広東語を教わりましたが、広東語も標準語とは大きく異なります。

同時に、「中国人」という言葉で安易に中国人をまとめてはいけないということも深く理解しました。極めて当然のことです。しかし、いま、その当然のことが当然ではありません。よく日本のマスメディアでは「中国人は  である」というように、中国人をひとまとめにした文章が見られます。しかし、本当はそのような文章は無意味です。日本に悪い人もいれば良い人もいるのと同じように、中国にも様々な人がいます。

最も大切なのは、個人を見ることです。何人かどうか、ということに囚われず、一人一人の目の前にいる人と向き合おうとすれば、自然と、分かり合うことができます。

これまで関わってきた交流イベントは、本当に楽しいものでした。しかし、イベントを運営する中では日中交流の難しさも実感しました。とくに大きな問題だったのは、日中交流に対する日本人学生側の無関心です。中国といっても、興味がわかないという人がほとんどでした。あるいは「面白くなさそう」「よく分からない」という意見もよく聞きました。

日本のマスメディアは、よく、中国の負の側面に言及します。とくに、政治や環境などの面で問題を抱えているということを強調します。あるいは、経済的な話題の中で、中国のことを事務的に取り上げます。だから、中国に対するマイナスなイメージや無関心が蔓延するのだと思います。

しかし、隣国なのだから、決してお互いを無視し合うことはできません。

国家の単位では交流が硬直していたとしても、個人の単位からより良い日中関係を築いていこうとすることが大切です。その際には、親しみやすい文化の話題から日中交流をはかっていけばよいのではないか、と私は考えています。たとえば、いっしょに料理をつくり、食べたら仲良くなることができます。あるいは、カラオケに行き、中国や日本の歌をいっしょに歌えば仲良くなることができます。楽しくて気軽な交流こそが全ての入口です。

ただ、本当に細かい点にまで気を配り合い、様々な問題をともに深く考えていくためには、相手の言葉を理解することが必要になります。交流の上では、言語の差異が大きな壁だという意見も多く聞きます。日本語を学ぶ中国人留学生は大勢いますが、中国語をある程度理解することができる日本人は多くありません。大きな不均衡が存在しています。その言葉の問題を解決するのは容易ではありません。

言語習得の上でまず大切なのは、相手のことを理解しようとする気持ちです。その気持ちを生み出すのは、偶然が生み出すかけがえのない人との出会いです。出会いは簡単につくりだすことができるものでもありません。しかし、だからこそ、出会いを作り出そうとすることは大切であり、必要です。これから 日中交流をさらに広げていくために、私は、周囲に出会いを生み出すために努力していきたいです。

翻译:钱海澎